2019年10月24日木曜日

専門学校時代を振り返る

専門学校時代を振り返る
もう時効だと思うので下記のブログに触発されて専門学校時代を振り返ってみたくなった(無認可校なので専門学校ですらないのだが面倒なので専門学校と表記する)。始めに断っておくとおもしろいことなんてない。

暇だからゲーム専門学校時代を振り返る - 昆布がないと開発できない。
http://donnpema6.hatenablog.com/entry/2019/10/23/004918

まず始めに僕が専門学校に入る経緯を話そうと思う。高校3年生の夏休み、僕は焦っていた。就職するか進学するかの分かれ道。就職するにも不良かオタクしかいない夜間の定時制高校、スキルも無ければ筋肉もないコミュ障の僕は大学を出ても就職が難しいと言われていた就活に対する恐怖からとにかく逃げたかった。

では進学しか道は残されていない。高校の友人と一緒に痛いRPGを作って楽しかったこと、ワイルドアームズシリーズが好きでトータルゲームデザイナーの金子彰史氏と一緒に仕事をしたいと考えゲームの専門学校に進学することを決意する。早く進路の悩みから開放されたい僕は知り合いがいるというあまりにも適当な理由で専門学校を選んでしまう。資料を取り寄せ高校の夏休みに説明会へ2回赴き、親を説得し、親に学費を借りることで入学することとなった。因みにまだ学費は返せていない。本当に申し訳ない。

専門学校の入学が決まり安心した僕は高校の通学中に2ちゃんねる(現5ちゃんねる)をだらーっと眺めていると専門学校のスレッドを見つけた。アンチのコメントしかないだろ、と思いつつ興味本位でスレッドを開くとそこには劣悪な環境による愚痴やクズの吹き溜まりのような場所だと、そう書かれていた。その時は「どうせ上手くやっていけなかった負け犬の遠吠えだ」と受け流した。そして専門学校へと入学することとなる。

地下の狭い教室に押し込められ、各生徒の小さな机にサポートの切れたOSを搭載しネットが禁止されたPCとブラウン管モニターが支給された。キーボードを置くと机にスペースなんて残らない。講師は業界未経験のOB。わからないことがあっても質問しない生徒。2ちゃんねるに書いてあったことは事実だった。

プログラミングに関する知識なんて高校時代にFlash(ActionScript)とマインドストーム(LabVIEW)を少しだけ触った程度だが授業の内容は難しく感じなかった。そう、学校で教える内容はとても簡単だった。講師は言う。「学校で教わる内容だけやってても業界に就職できない」と。実際、放課後作業する人以外に存在するのは研究生として後輩の授業に混ざるかゲーム以外の業界に就職するか何の成果も上げずに卒業する人だ。

入学した以上はやらねばならない。始めにVisual Basicを習いブロック崩しとシューティングゲームを1個作った。C++をひととおり覚え一年生の後半から就職活動用の卒業作品を制作することとなり企画書と仕様書を書き作曲を一ヶ月で叩き込まれた。二年生になるとJavaを習い始める。この頃になると卒業作品を作り終え二年生のほとんどを就職活動に当てる者が現れてくる。まだ卒業作品を作り終えていない僕は焦っていた。そして二年生の初夏、遂に卒業作品が完成する。やっとスタートラインに立てたのだ。

就職活動開始。学校には斡旋や面接の練習をしてくれるサービスがあったので利用する。この専門学校には内定を蹴ってはいけないルールがあったので、真っ先に大好きなワイルドアームズの制作会社「メディア・ビジョン」に応募したが恐らくこれが間違いだった。

幸運なことに書類選考は通過した。「まさか入社できてしまうのか?憧れだった会社に?」面接でなんとしても落ちないために学校で何度も練習した。そして面接当日。新木場を降りた僕はメディア・ビジョン周辺やビルのテナントサインを撮影したりして完全に浮かれていた。面接の時間になったので受付に入り内線を使い担当者と連絡を取りオフィスへと案内され奥にある会議室へと向かう。憧れの現場を目の前にし興奮するのもつかの間、試験が始まり問題用紙を渡され真面目モードに切り替えなければならない。

問題解こうと用紙に目をやると衝撃が走る。まったくわからないのだ。あのゲーム機のアーキテクチャがなんとかかんとか、こんなの学校はおろかどうやったら学ぶ機会があるんだという問題ばかり。「もう受かるのは無理だ」僕は絶望しほぼ真っ白の用紙を提出した。

用紙同様頭の中も真っ白の状態で面接が始まる。しどろもどろに自己PRをして面接官からの質問タイムだ。恒例のYouは何しに弊社へ?だ。「ワイルドアームズシリーズが大好きで、この楽しさを提供する手伝いをしたい」そんな感じのことを言った気がする。きっと僕のようなことを言う人はいっぱいいるんだろう。面接官は「じゃあワイルドアームズシリーズを作らないとしたら君はどうするの」と聞き返す。僕はこの質問に答えることはできなかった。その後のことは覚えていない。こうして僕の初面接は幕を閉じた。

メディア・ビジョン以外ならもうどこでもいい。とにかく早く解放されたかった。2社目に受けたのはモバイルゲームの開発・運営をしているD社。ここは面接中にブラックの匂いを感じてやばいと思ったので適当に受け答えした。内定は貰えずにホッとした。そして3社目、高校生の頃遊んでいたモバイルゲームの開発・運営をしているA社が学校で会社説明会をしていたので受けた。そこで内定を貰った後はインターンとして入社していたので卒業式以外は学校へ行くことは無かった。

そして卒業式。今までと変わらず狭い地下の教室で行われた。内定を貰ったのは10人程度だった気がする。その中でゲーム会社に内定を貰ったのが何人かは知らない。卒業できなかった人たちが今後どうするのかも興味が無かった。

そんなこんなで僕の2年間の専門学校の生活が終わった。たったこれだけのために高い学費を払う価値があるとは思えないけど背中を押さないと何もできない人にはいいんじゃないかと思う。けど自主的に学んでいかないとエンジニアとしてはやっていけないのは間違いない。だったら学費の代わりにちゃんとした性能のPCを買ってネットや本で学び勉強会に参加した方が有意義だと思う。

完全に余談だが今は入社のきっかけだったモバイルゲームのリードプログラマをやりつつインディーゲームを作っている。今の暮らしにはなんだかんだ満足しているので後は親に借金した学費を頑張って返したいと思う。

よし、お話終わり。
寝て良いよ。

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